【36歳で看護学校へ】『ホンマにすごいことやで!』父の憧れを叶えた親孝行

私が生まれ育った家は、モラハラ関係の機能不全家族でした。

あまり好きな言い方ではありませんが、昨今世間を賑わせている毒親と言っても差し支えないような父でした。

父はとても高圧的で、誰のことも見下すような性格でした。

幼いころから、認めてもらったり、褒めてもらった記憶はありません。

「お前ごときが」

「お前のしょうもない考え」

などと、悪気なく言い放つような人でした。

また、機嫌が悪くなると怒鳴り散らし、叩かれるのは当たり前です。

そのような幼少期を過ごしたからか、大人になった私は非常に自己肯定感の低い、承認欲求の強い人間に育ちました。

就職先は幼稚園教諭だけではもの足りず、介護福祉士を経て、看護師になり、保健師の資格も取得するほどです。

このように次々とキャリアアップを追い求める生き方になったのは、

「満たされないものを満たそうとする」

気持ちがあったからです。

心理学を学んだり、看護学校で学んだ認知行動療法を実践したことで、今はこのような気持ちはなくなったのですが、振り返ってみると、当時は、とにかく認められるようにがむしゃらに生きていたと感じます。

看護学校の受験は独学で、分数の割り算のやり方さえ忘れていた学力なので、参考書片手に毎日勉強していました。

合格したときは36歳で、看護学校へ入学すると伝えた時の父親の嬉しそうな顔と言ったらなかったですね。

私は三人兄姉なのですが、

「そうか…お前がやったか!」

の後、興奮気味に

「お前はやるやつやと思ってた!
 ホンマにすごいことやで!
 この歳から看護学校受かるなんてな」

「仲間(友達)に言うたんや。
 看護師になる言うて、学校受かりよったて。
 へえーすごいな言うてたで。
 あいつ(友達)の娘も行った学校なんや!」

「ほんならお前、あれができるやんけ。
 訪問看護が立ち上げられるやんけ!」

目をキラキラ輝かせて、まるで自分の功績のように喜んでいました。

しかし、その時の私の心境といったら複雑なものでした。

私が看護学校へ行ったのは虚栄心とかでなく、純粋に介護職からステップアップしたいということ、家計も苦しかったため、お金の問題も解決したかったからでした。

あれだけ幼いころに求めていた、父親から認められた声が大人になってやっともらえた。

なのに、なかなか素直に受け取ることはできませんでした。

私が頑張ったことそのものに対する賞賛というより、仲間に自慢できたり、本来、自分が成し遂げたかったものを我が子へ投影している感じが無償の愛ではないのだと感じてしまい、ちょっと虚しい気持ちになったのかもしれません。

父は中卒だったので、受験して入学することへの憧れや、歳を重ねてからの功績への憧れがあったのかもしれません。

とても複雑な心境でした。

そんなこともあり、素直に父の喜びを受け取れない私でしたが、父は大喜びしてくれた。

自分以上に大喜びしている父の姿を見たとき、

「少しは親孝行できたのかもしれないなぁ」

と、感じたことを今でも覚えています。