【ありがとうは絶対言わない】息子が気づかなかったネチネチした母の小言に隠された真実

家族に「ありがとう」や感謝の言葉を言うなんて、今まで一度も聞いたことがない。

それが僕の母だ。

だから、母に親孝行をして感謝されようなんて思わないし、我が家では子供の頃からそれが当たり前だった。

「きっと、わが子に感謝するなんてことはプライドが許さないのだろう」

ずっとそう思っていた。

ありがとうと言わないだけでなく、

「最近、太ったんじゃない?」

「その髪型、似合ってない」

などと、会えば親の仇かと思うぐらい、とにかく小言を言われる。

あなたが親で、自分はあなたの息子なのに。

ある程度なら我慢しようとも思うのだけれど、我慢にも限界がある。

自然とケンカに発展する。

「僕のことが、きっと嫌いなのだろう」

僕と母の関係は、小説や映画のような幸せそうな母と息子の関係とはおせじにも言い難かった。

しかし、これが現実だ。

そんな母が、数年前を境に

「ありがとう」

と言うようになった。

小言を言われることも、以前と比べてずっと少なくなった。

なぜなのか考えてみたが、まったくわからない。

変わったことといえば、

『僕に子供が生まれ、父となった』

というだけだ。

僕の仕事は薬剤師だ。

6年制の薬学部を卒業し国家試験になんとか合格して、薬剤師免許を取得。

大手調剤薬局の薬剤師になり、20代後半に結婚した。

同僚たちと比べてみても平均より少し早く結婚し、家庭をもつことになった。

結婚しても、僕と母とのケンカは絶えなかった。

「これからもずっと、母とケンカするのだろう」

と、嫌気と諦めが渦巻いていた。

母との関係は変わらなったが、結婚から1年程が経ち、わが家は子供を授かった。

その頃は仕事でも評価され、昇進も重なり、まさに幸せの絶頂だった。

なにより、とてもかわいいわが子。

「目に入れても痛くない」

まさにそんな表現がぴったりで、僕は幸せをかみしめていた。

子供が生まれ、僕は変わった。

結婚してからもそうだが、より一層、家族、特に、子供のことを考えて生活するようになった。

同時に、家族の為に生きる決意ができた。

僕は父になったんだと実感した。

近隣に住んでいる両親は、孫が生まれてから頻繁に我が家にくるようになった。

いままでは会えば100%ケンカしていたのだが、不思議とそうはならなかった。

当時、理由はわからなかった。

ある年の僕の誕生日、母から突然メールがきた。

きっとまた何か気にくわないことがあって、また小言が書いてあるのだろうと見るのをためらった。

しかし、そこに書いてあったのは、思いもしないことだった。

「あなたが父となり、家族をもつものとしての自覚を感じます。
 立派になったと感じています。
 また薬でわからなかったことがあったら教えてね、おめでとう!」

開いた瞬間、

「!?!?」

頭の中が真っ白になった。

本当に、本当に、あの母が書いたメールなのだろうか

何度も読み返し、目を疑ったが、現実だった。

確かに母だ。

あの偏屈な母だ。

僕は人生30年弱で自分が親になり、ようやく親の気持ちに気づいた。

子供はかわいい。

だからこそ、何か関わりたくなる。

小言もそのひとつ。

母なりの話すきっかけを作る方法だったのだ。

その小言の裏に隠された気持ちは、

「ただ、話をしたい」

のだ。

親としての母はそういう気持ちで息子と向き合っているのに、わが息子に、

「ありがとう」

の一言も言われなければ、小言も言いたくなるというものだ。

母が

「ありがとう」

を言わないのではなかった。

僕が母に

「ありがとう」

を素直に言ってなかった。

子供を持つまでは。

『わが子は、いくつになっても、わが子』

たとえ自分の子供が僕のように30代の大人になっても、親からすれば子であることに変わりはないのだろう。

もちろん、一人の大人として尊重すべき点は尊重しつつではあるが、人間の根底にある親の気持ちはずっと変わらない。

僕は親になって、

見えない思いやり

がわかったおかげで、いまでは母の小言も微笑ましく受け止めるようにしている。

実は今でも腹がたつこともあるし、ケンカをすることもあるけれど、以前と比べれば、母の気持ちも少しわかるようになった。

僕の場合は、最も喜ばれた親孝行はプレゼントを贈ることではなかった。

相手を思いやる心、感謝の気持ちを伝えること、

「ありがとう」

だったのだと思っている。

思いやりというのは難しい。

思いやりは言葉そのものを指すのではなく、行動も含めたもっと見えづらくて、大きなものだ。

だから今は、できる限り、感謝の気持ちを伝えるように心がけている。

自分が変われば、相手も変わる

母は、この大切なことを僕に伝えてくれていたのかもしれない。

いくつになっても個性的な母だが、僕もきっと個性的な父になっていくのだろう。

似たもの同士、それが親子。

うん、きっとそうに違いない。