【結婚】『実家を出ずに婿を取れ』と言われ続けた一人娘の両親への親孝行

私は現在、うつ病を患っている。

きっかけは約2年前、勤め先だったある地方銀行の上司からのパワハラだった。

パワハラを受けた次の日から会社に行けなくなり、通院以外ほぼ引きこもりの生活を送っていた。

当時から付き合っていた彼氏の家に居候し、毎日泣きながら、ご飯もろくに食べられず、睡眠も取れず、辛い日々が続いた。

当時の私は

  • うつ病になったこと
  • 会社に行けなくなってしまったこと

が情けなくて、両親に打ち明けることができなかった。

ずっと隠し続けていた。

たまにかかってくる母からの電話には

「ぼちぼち」

など、あいまいな返答ばかりしていた。

数ヶ月が経過し、うつ病と休職を隠し続けることに限界を感じた私は、今までのことを両親にすべて打ち明けた。

電話越しの母は

「なんとなく、そんな気がしていたの」

と言い、私は涙が止まらなかった。

「なんで、もっと早く打ち明けなかったのだろう」

「そもそも、なんで隠してしまったのだろう」

様々な後悔の気持ちが一気にこみ上げてきて、母に謝りながら、私はひたすら泣き続けた。

それから、普段からあまり話さない父とも連絡を取るようになり、父は私の病状をとても心配してくれた。

数ヶ月が経ち、主治医の許可を得て、私は職場に復帰した。

パワハラ上司のいない、新しい部署でのスタートに緊張しつつも、私は

「また一からやり直そう」

というやる気に満ち溢れていた。

新しい部署の人たちは、私の病気のことを知っていたため、みんな優しく接してくれた。

特に直属の上司はとても優しく、忙しい中、いつも私のことを気にかけてくれた。

ただ、それでも、そこまでしてもらっても、私の心と身体は数ヶ月も持たなかった。

今でも明確な理由はわからない。

ただ、毎日の仕事がどんどん辛くなり、パニックの発作や、出勤できない日々が続いてしまった。

「まだ大丈夫」

「まだ大丈夫」

「まだ大丈夫」

「まだ大丈夫」

「まだ大丈夫」

そう自分に言いかせ続けていたある日、会社の人事に呼び出され、もう一度休むようにと促された。

自分が思っていた以上に、周りは私の状況を深刻に捉えていたことや、復帰してから数ヶ月も経たないうちの二度目の休職に、ひたすら絶望した。

二度目の休職期間に入ってすぐに、私は転職先を探し始めた。

何かを考えていないと気が済まなかったからだ。

二度目の休職は、両親にすぐに伝えた。

両親は私を見かねて

「実家に帰ってゆっくり休んだら」

と言ってくれたが、私はそれを断り続けた。

こうして振り返ってみると本当にどうかしていたと思うのだけど、当時の私は、ただ、

「自立したい」

という気持ちで頭がいっぱいだった。

「せっかく、大学まで行かせてもらったのに…」

「せっかく、良い企業に入ることができたのに…」

自分自身に重圧をかけ続け、理想の自分と現実の自分の罪悪感に押しつぶされそうだった。

そんな状況でも一番冷静だったのは、私の彼氏だった。

彼とは大学からの付き合いで、

「いずれ結婚するんだろうなあ」

と何となくは思っていた。

「無理して働かなくて良いよ」

「生活費はなんとかするから、結婚して、治療に専念しよう」

そう言ってくれた彼は、昨年7月に私に正式にプロポーズをしてくれた。

「こんな私でいいのかな」

と思いつつ、お互いの両親と連絡を取り合うなど、結婚へ向けての忙しい日々が続いた。

彼と私は大きな荷物を持って、私の実家へ挨拶に行った。

うつ病になってから両親と会うことをひたすら拒んでいた私は、数年ぶりに両親の顔を見た。

結婚の挨拶ということも相まって、みんながそれぞれ緊張しながら、私の実家で食事をし、私と彼は帰宅した。

その夜、両親から電話がかかってきた。

父が

「おめでとう」

と言ってくれた。

その言葉を聞いて、

「私はずっと、不安だったのだ、怖かったのだ」

と、気づいた。

私は、父と母の一人娘で、

「実家を出ないでくれ、できれば婿を取れ」

と言われたこともあり、

「結婚して嫁にいくと決めたことを、怒られるのではないか、反対されるのではないか」

とずっと恐怖を感じていた。

でも、それはまったくの勘違いだった。

父は

「娘が一生ひとりで過ごすことが一番心配だった。
 彼と一緒になってくれて安心した」

と、涙ながらに話してくれた。

その横で聞こえた母の笑い声も、とてもあたかかった。

そんな両親に、私は「結婚」というカタチで親孝行をすることができたのかな、と思っている。