【美容師になる夢】初めてのヘアカットは母だった『あんたのカットが一番だから』

私の夢は美容師になることでした。

カリスマ美容師に憧れて

小学生の頃からヘアスタイルにこだわり始めた私は、たまに街で気になる美容室を見つけると、母に頼んで連れて行ってもらいました。

中学生になると、世間では“カリスマ美容師”が持て囃され、ドラマでは人気俳優が美容師を演じて話題となりました。

そうなるとテレビ番組でも都内有名店の美容師の露出が増え、深夜には美容師のヘア作りバトルの番組も始まりました。

その頃中学生だった私は、夜中のヘアバトル番組を毎回録画しては、繰り返し鑑賞する日々を送っていました。

そうして、いつしか

「自分でも誰かの髪を切ってみたい!」

と思うようになりました。

初めてのヘアカットモデルになってくれた母

そこで、初めてのヘアカットのモデルを母に頼みました。

当時、母がどのような反応で承諾してくれたかは覚えていませんが、小部屋に新聞紙を敷き詰め、椅子に座った母は嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれました。

初めてのカットは、とにかく時間がかかりました。

基礎を知らずに始めたカットは、後戻りすることはできず、慎重に慎重に、大失敗だけは避けるよう自分に言い聞かせながら、進めました。

すべて終わった頃には二時間以上が経っていました。

二時間もの間、素人に頭をいじられ続けるのは相当忍耐がいることだったでしょう。

切っている私自身は変な汗を大量にかきながら、母に対して、気遣いの一つもしていませんでした。

当時の出来栄えは覚えていません。

髪を切るという経験は、とても疲れたこと、とても難しかったこと、とても時間がかかったこと、だけどとても満足したことを覚えています。

切らせてくれた母とは、なにか交わした言葉があったか、覚えていないのですが、その時の母はとてもいい笑顔だったと記憶しています。

美容師になるべく100人のモデルカット

そこからの私の歩みは、美容師になるべく一直線でした。

高校、美容専門学校と進み、当時住んでいた実家に近い街の美容室に就職しました。

アシスタントとして修行しながら、三年かかってスタイリストになりました。

スタイリストの試験を受けるまでには、100名のモデルをカットする経験を積まねばなりません。

知り合いや、家族、街で声をかけてお店まで来てくれた人々の髪を切る中、母はそのノルマに参加しませんでした。

私が唯一、母を喜ばせられたと思えた親孝行

恥ずかしがり屋の母。

私が働く中規模美容室では、たくさんの人の目があり、落ち着かないのだそうです。

そういう母を無理に連れ出すわけにはいきません。

母だけは、母が一番落ち着く住まいの居間で、昔と同じように、床に新聞紙を敷き詰め、ちょっとした会話を楽しみながら髪をカットしました。

努力の甲斐あって上達した技術を、いつも褒めてくれる母。

切り終わったヘアスタイルを大げさに喜んでくれる母。

母がリラックスしながら楽しんでくれる時間は、私にとっても尊いものでした。

その後、結婚、転勤、退職、出産と、私の生活が徐々に変わっても、母のヘアカットの時間を大切にしてきました。

しかし、実家住まいの妹の精神状態や体調が思わしくなく、人の出入りを拒むようになったため、私は妹を気遣い、何年か実家に帰らないことがありました。

母は近所の美容室に通うようになりましたが、

あんたのカットが一番だから

と、いつも言っていました。

そんな母とも、家族のいざこざが深まる中で、だんだんと心の距離ができてしまいました。

わだかまりが溶けたら、また母の髪を切りたい

唯一私が、母を喜ばせることができる親孝行だった、母のヘアカット。

それができなくなった私は一人、悶々としていました。

そんな心の内を、ある時、仲良くしてくださる年上の女性に話してみました。

ご自身も成人した娘を持つ母親の立場から、私にこんなアドバイスをくださいました。

「親はあくまでも親の立場から子供を見ている。

 離れて行った娘を思い、心配することもある。

 だけどそれこそが親の仕事だから、子供は気にしなくていい。

 子供が幸せに暮らしていればそれでいい。

 親は子供の成長と幸せを願うものだから、あなたが今、幸せなら、今はそれで大丈夫」

アドバイス頂いた言葉と共に、私は、初めて母の髪を切ったことを思い出していました。

あのときの母は私から何も受け取るものがなかったにも関わらず、ただ身を委ねてそこにいてくれました。

どうしても髪を切ってみたいという私の挑戦を、自らを実験台として叶えてくれました。

決して素敵なヘアスタイルには仕上がっていなかったのに、微笑んでくれました。

私が好きなことに突き進む姿を、ただ喜んでくれました。

私は、自分にできる親孝行はこれしかないと決めつけていたのだと思います。

その女性が私に伝えてくださったように、母は私が前進する姿を何より喜んでいてくれたことに間違いないのです。

今、かたくなに心を閉ざしているのは私の方です。

きっと母は、連絡がないのは元気な証拠だと、おおらかに構えてくれているのかもしれません。

今はまだ時間が必要で、元気でいることだけが私にできる親孝行ですが、またいつか、母の好きな場所で、髪を切ってあげられるときがくると信じて、自分の道を進んで行こうと思っています。